医療と市場原理(効率化を考える)

本田整形外科クリニック 本田忠


 病院を効率化しましょう(まさしく小泉氏の構造改革)。効率化とは、費用削減することではなくて、資源を最適に利用することが経済学でいう効率化です。

基本的な医療という財の性質は
1)情報の非対称はなくならない。
 患者さんは「弱者」である。弱者とは「知識」と、「心理」の二つの面があ る。「知識」の面は、医療情報の積極的な公開により、ある程度は、改善され ると思われる。しかしまったく不充分ではあろう。一方、どんな方でも、病気 になれば、自分の弱味を医師の前にさらすのであり、救けて欲しいという依存 心が出る。これは一種の退行である。従って幾ら情報公開しても医師対患者は、 残念ながら、対等の関係にはなりえない。
2)マターナリズム(母親的包容主義)の社会
 インフォームドコンセント(説明と同意)は、「独立した権利主体、人格主 体としての患者」に、「同じ権利と人格主体である、医師」が説明して、同意 を得て、はじめてなりたつものである。医師対患者は、対等の関係であらねば ならない。患者が、「独立した人格」で、「十全な自己決定能力」がなければ、 自己決定は十分には出来ない。
 患者さんが、手術、検査、麻酔等の、必要性、危険性にたいして、主治医が 用意する、同意書へ記入することさえ、違和感や、抵抗感を感ずる方が多い。 「先生にお任せします」。これは日常よく見られる光景である。十分な説明の 元に、個人の決断に基づくはずの、自己決定が、不明確に行われる。日本にお ける、医師対患者の関係は、パターナリズムというより、むしろマターナリズ ムが基本である。
3)医師対患者の関係は、「信頼関係」と「思いやり」が基本となる。
 「マターナリズム」と、「情報の非対称」の存在する社会では、医師対患者 の関係は、「契約」ではなく、「信頼関係」と「思いやり」というきわめてあ いまいな概念が基本とならざるをえない。従って、日本で、文書化するという のは、アメリカのような、多民族国家で、パターナリズムの社会で、文書化す るのとは意味が異なってくる。こういう社会で、契約などの、明確な関係の法 制化は、逆に医師の自己責任の放棄と、形式主義への退行になりうる。
4)セコンドオピニオン

 セカンド・オピニオンとは、直訳すれば、第二の意見ということです。具体的には、診断や治療方針について主治医以外の医師の意見をいいます。医師からインフォーム(説明)を受けても、情報も知識もない患者や家族にとっては治療法の決定をできなかったり、不安を覚える場合もあります。だから知識を持っている人=専門医に相談し、意見を聞きたいということになるわけです。医師対患者の情報の非対称を少なくしようという動きではある。前提として、かかりつけ医との良好な人間関係の構築がまず大切である。フリーアクセスが保証されている日本においては、患者さんは自由意志で病医院を変わっている。「あそこの病院では直らない」。いわゆるホスピタルショッピングである。セコンドオピニオンは、ホスピタルショッピングの検査等の重複を考慮したシステムである。病診連携のなかで無駄な情報を省くという意味で、施設間の連携を密にすべきではあるが、これは情報ネットワークができればかなり解消はできる。いずれにしてもすでにすでに、患者さん自身が自由にしているものを制度化してコストを増やす意義が果たしてあるのか?単にフリーアクセスを維持すればすむ問題ではないかという気はいたします。フリーアクセスが保証されれば、医療施設間の質の評価ははすでに患者自身が行っているともいえる。


市場原理と医療

 「情報の非対称」の存在下では、市場原理による競争による質の向上と効率化はなりたたない可能性が高い。またそれは同時に医療の高騰になる恐れもある。

1)医療の質の向上と効率化は必然的に価格の高騰を招く

 医療においては、質の高いものを供給しようというインセンティブが非常に強い。また顧客の側も質を求めている財である。こういう財は、規制緩和によって価格が上がりかねない面がある。ちょうどアメリカにおいては専門家の給料が非常に高い。医療に市場原理を持ち込んで、競争させて、質は高まるかもしれないが、当然価格も高騰する可能性が非常に高い。専門家としては望むところではある。医療においては質の向上と効率化により価格の高騰が起こるのは必然的である。従って国としては社会保障制度を支えきれず、皆保険制度が崩壊し、貧しい方々は医療を受けられなくなる。ちょうどアメリカで今現在行われている医療となる。狭義の医療の問題である。

2)営利企業の参入と管理EBM。

 低医療費政策下では、ペイしなければ企業の参入意欲はえられない。経済的インセンティブをつけるためには、混合診療を大幅導入しないといけない。収益性を第一義にすれば医療の提供は収益性の高い部分に集中し、コストのかかる患者が敬遠されるおそれがある。いわゆるクリーミースキミングである。

 標準医療を定めれば、日本全国で標準的な医療が行われることになる。質の向上には若干役立つとは思われるが、狭義の医療では、差別化が出来づらいことになる。競争にはならない。従って競争は、いわゆるフィットネスや、民間療法、ハードなどの保険外サービスが主体とならざるをえないと思われる。

 保険外診療はかくて、際限なく増大し、質の管理はされず、医療はサービス産業と化し、保険外診療の草狩り場と化す可能性が高いと思われる。一方狭義の医療は低医療費のままに据え置かれ、質の向上は望みがたいこととなる。

3)逆選択(adverse selection)。

患者の逆選択

 情報の非対称の存在下では、患者さんは残念ながら正確な評価は出来ない。情報公開等により、少数のスター医師が生まれるではあろう。これは悪いことではないにしても、患者集中による、医療資源の無駄遣いにはなりえる。

医師の逆選択

 医療内部では、評判をよくして、治療成績を上げるために、クリーミースキミングが日常的になり、ハイリスクな患者はスポイルされる可能性もある。

いずれにしても日常的に悪貨が良貨を駆逐するという事態は起こりうる。


)効率化
 医業経営の効率化に市場原理を持ち込めばすむのかといえば、そう簡単にはいかないのがこの財の厄介なところではないでしょうか?
 規制緩和論者が単純に主張するごとく、経営の効率化に、株式会社の手法を 役立つとするのはよいが、それがそのまま株式会社方式が優れているイコール、 株式会社を導入するとなるのかどうかですね。
まずは扱う財の性質が基本的に異なるとは思います。
 規制緩和論者は、現状の病院の非効率の否定と効率化を求めるあまり、論理 に飛躍がありすぎる気はします。医療経営者が株式会社の勉強をするのは大 いに結構ですが、それが直ちに株式経営するということとは、全く意味が異な るということかと思います。病院経営のみの面からのみ、考えるのは視野が狭い。あくまでマクロ的な医療経済的な視点が大切な気はします。導入によりどういう影響が出るのか?

1)企業参入や株式会社にしたら、医療は効率化できるのか?
 これは否定的な論文が多い。企業が参入したから、医療の効率化が出来るかど うかははなはだ疑問である。実際に行うのは医療従事者ですから、考えてみれば あたりまえ。
2)医療の効率化は競争原理によって達成できるか?
2-1)種々の財に競争を導入すると何が起きるか。
a)電話通信とか、宅配便とかは競争すると価格はどんどん下がります。
b)エチレンとか、コンピュータのDRAMみたいなものは自由競争の結 果、価格は乱高下します。
c)レストラン、あるいはオペラ、コンサートとか、競争が激しいところで 値段が下がっている兆候は全くありません。質の高いものを供給しようという インセンティブが強いからです。
つまり3種類の財は財として全然違うのですね。上の財は質が同質的で供給制 限がない。一番下の財は供給制限があるのですこういう財で、顧客の側も質を 求めている財では、規制緩和によって価格が上がりかねない 医療というのは どれに属する、言うまでもなく(c)に決まっているわけです。競争の帰結は、 弱者が排除されます。しかし、医療とか高齢者ケアというのは弱い人のための サービスです。ここで弱い人が排除されてしまったら、自己矛盾です。
医療や、高齢者ケアというのは、弱い人のための仕組みとしてつくってきたの に、わざわざつくってある弱者救済の仕組みを壊してはいけない。
効率化はすべきだけれども、競争原理を持ち込むとうまくいくというのは、全 然答えになっていません。
2-2)営利企業と医療:使命
 営利企業というのは、悪徳だからやってはいけない。こんな馬鹿なことはな いのです。営利企業は悪徳ではありません。営利性の本質は機会主義なんです。 利益を上げることが経営者の使命ですから、儲かることしかやってはいけない のです。一方医療や高齢者ケアは儲からないこともしないといけない、そこにニー ズがあるから行うのです。営利企業と医療機関では本質的な社会的な使命が違うわけです。
 よいシステムを作るためには、公正と効率というのが2本柱なんです。そのときに医療の ように本質的に弱い人のためのシステムを、営々としてわれわれ作ってきたわけで すから、そこでは公正感なくして効率は果たせない。逆に効率性がなくては公 正は果たせない。こういうシステムであることをいつもわきまえて政策主張し ないといけないことになります。
2-3)厚生労働省は、営利企業の参入を認めても医療サービスが適正に、また効率的に提供されることにつながらないと説明。
その理由として、
1.一般の商品やサービスと異なり、(医学知識を十分に持たない)患者自身が 必要なサービス(医療行為)を事前にきちんと判断・選択するのが難しい、
2.コストのかかる患者を敬遠する恐れがあり、救急医療やへき地医療などの不 採算医療の提供を期待しにくい、
3.医療機関は地域的に偏在しているものの、量的な整備がほぼ達成されてお り、新たに営利法人の参入を認めて整備を進める状況にない
の三つを挙げている。
最後の大問題
2-4)医療費の高騰はどうすべきなのか
 競争原理を持ち込もうが、効率化しようが、医療という財は高騰するもの であるようである。ではどの様なコンセンサスをえるのか?
枠を作って押さえられるものなのか?
きめ細かにやっていくしかないのでしょうが、総枠抑制論は、芸がないというか 乱暴というか、思想性のかけらも感じられないのが淋しいですかねえ
いずれにしても医療の効率化と、医療費の削減は全く別問題である。

国家の役割
 医療を中心とする社会保険制度は、安全保障と同様、国家の基本的な役割で す。社会共通資本としての、医療はどういう財なのかと言う問題  社会共通資本は「公平性」「信頼性」を基本とした制度でいくのが基本。 その前提のもとに効率化を議論すべきではないでしょうか。医療という財は社会共通資本の観点からは公平性の高いものである。しかも株式会社にしたからといって効率は必ずしも上がらない。逆に医療費に高騰を 招く可能性が高い。患者さんの負担増となります。従って、株式会社や営利企業の医療への参入には反対します。皆保険制度は維持すべきであると考えます。

参考文献
社会的共通資本としての医療
東京大学名誉教授、日本学士院会員宇沢弘文うざわ ひろふみ1928年鳥取県生まれ。51年東京大学 理科部数学科卒業。
スタンフォード大学準教授、カリフォルニア大学助教授、 シカゴ大学教授を経て69年〜89年末京大学経済学部教授。主著『「豊かな社会」 の貧しさ』『二十世紀を超えて』(共に岩波書店)『日本の教育を考える』(岩 波新書)ほか多数。
◆新しい社会経済体制としての制度主義
 20世紀はしばしば、工業化と都市化の世紀であったといわれるが、同時に社 会主義と資本主義という二つの体制槻念がきわめて先鋭な形で緊張関係を形成 していた。20世紀の世紀末を特徴づけたのが、社会主義の崩壊と同時に資本主 義のかってない混乱であった。新しい21世紀を特徴づけるものは、この20世紀 の世紀末混乱を乗りこえて、真の意味における人間性の復活を求めて、政治、 経済、文化、自然のあらゆる分野におけるルネッサンスの運動であるといって よい。この21世紀的社会経済体制のガイデイング・プリンシプルは制度主義の 考え方でなければならない。ここで制度主義というときに、市民的自由が最大 限に保証され、人間的尊厳と職業的倫理が守られ、しかも安定的かつ調和的な 経済発展が実現するような理想的な経済制度を求めて、学問的、思想的、政治 的運動を展開することを意味する。そのさい、歴史的な役割を果たし終えた経 済制度にとらわれずに、現実の制度的、文化的、歴史的あるいは自然的な条件 を十分踏まえながら、どのような経済制度が望ましいのかを先入観なしに考え ていくということを意味し、具体的には社会的共通資本にかかわる制度的諸条 件をどのようにして実現するかに表現される。社会的共通資本の考え方は、人 間の生活、あるいは社会的な条件、環境を維持するために重要な役割を果たす 資源、あるいは制度を社会にとって共通の財産、社会的な視点に立って管理し、 その機能が十分果たせるような条件をつくり出すことを意味する。
 社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆた かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、 安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通 資本は自然環境、社会的インフラストラクチヤー、制度資本の三つの大きな範 疇にわけて考えることができる。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、 道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチヤー、 そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の重要な 構成要素である。都市や農村も、さまざまな社会的共通資本からつくられてい るということもできる。
 社会的共通資本が具体的にどのような構成要素からなり、どのようにして管 理、運営されているか、また、どのような基準によって、社会的共通資本自体 が利用されたり、あるいはそのサービスが分配されているかによって、一つの 国ないし特定の地域の社会的、経済的構造が特徴づけられる。
◆社会的共通資本と職業的倫理
 社会的共通資本について、一つ重要な点にふれておく必要がある。それは、 社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知 見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるというこ とである。社会的共通資本の管理、運営は決して、官僚的に規定された基準な いしはルールにしたがっておこなわれるものではない。と同時に、市場的基準 にしたがって、すなわち「もうけ」を求めておこなわれるものであってはなら ない。この原則は、社会的共通資本の問題を考えるとき、基本的重要性をもつ。 社会的共通資本の管理、運営は、フイデュシァリー(fiduciary)の原則にもと づいて、信託されているからである。
 社会的共通資本は、そこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充 足にさいして、重要な役割を果たすものであって、社会にとってきわめて「大 切な」ものである。このように「大切な」資産を預かって、その管理を委ねら れるとき、それは、たんなる委託行為を超えて、フイデュシァリーな性格をも つ。社会的共通資本の管理を委ねられた機構は、あくまでも独立で、自立的な 立場に立って、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって行動し、市民 に対して直接的に管理責任を負うものでなければならない。
◆社会的共通資本と政府の役割
 政府の経済的機能は、さまざまな種類の社会的共通資本の管理、運営がフイ デュシァリーの原則に忠実におこなわれているかどうかを監理し、それらの間 の財政的バランスを保つことができるようにするものである。制度主義的経済 体制における政府の経済的機能は、統治機構としての国家のそれではなく、す べての国民が、その所得、居住地などの如何にかかわらず、市民の基本的権利 を充足することができるようになっているかどうかを監視するものでなければ ならない。
 さまざまな社会的共通資本の組織運営に年々、どれだけの資源が経常的に投 下されるかということによって政府の経常支出の大きさが決まってくる。他方、 社会的共通資本の建設に対して、どれだけの稀少資源の投下がなされたかとい うことによって、政府の固定資本形成の大きさが決まる。このような意味で、 社会的共通資本の性格、その建設、運営、維持は、広い意味での政府、公共部 門の果たしている機能を経済学的にとらえたものであるといってよい。
◆社会的共通資本としての医療
 医療という言葉は一般に、WHO憲章で定義されている保健とほぼ同じような意 味で用いられている。つまり、市民の健康を維持し、疾病・傷害からの自由を 図るためのサービスを提供するもので、医療を社会的共通資本として考えると き、「政府」は、すべての市民が保健・医療にかかわる基本的なサービスの供 与を享受するできるような制度を用意する責務を負うことになるわけである。  具体的にいうと、「政府」は地域別に、病院体系の計画を策定し、病院の建 設・管理のために必要な財政措置をとることが要請される。さらに、医師、看 護婦、検査技師などの医療にかかわる職業的専門家の養成、医療施設の建設、 設備、検査機器、医薬品などの供給をおこない、すべての市民に対して、原則 として無料ないしは低廉な価格で、保健・医療サービスを提供することが要請 される。
 しかし、国民経済全体にとって利用しうる稀少資源の量は限られたものであ って、各市民の必要とする保健・医療サービスを必要に応じて無制限に供給す ることはできない。病院を始めとするさまざまな医療施設・設備をどこに、ど のようにつくるか、医師を始めとする医療に従事する職業的専門家を何人養成 し、どこに、どのようにして配分するか、またどのようにして、実際の診療行 為をおこなうか、さらに、診療にかかわる費用、とくに検査・医薬品のコスト をだれが、どのような基準で負担するか、などにかんして、なんらかの意味で、 社会的な基準にしたがって、稀少資源の配分がおこなわれる。しかし、この社 会的基準は決して官僚的に管理されるものであってはならないし、また市場的 基準によって配分されるものであってはならない。それはあくまでも、医療に かかわる職業的専門家が中心になり、医学にかんする学問的知見にもとづき、 医療にかかわる職業的規律・倫理に反するものであってはならない。そのため には、Peers’Reviewなどを通じて、医療専門家の聯業的能力・パフォーマンス、 人格的な資質などが常にチェックされるような制度的条件が整備されていて、 社会的に認められているということが前提となる。
 このような制度的前提条件がみたされているときに、実際に保健・医療サー ビスの供給のために、どれだけ稀少資源が投下され、.どれだけコストがかか ったかによって、国民医療費が決まってきて、その額が国民経済全体からみて 望ましい国民医療費となる。医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に 合わせるのが、社会的共通資本としての医療を考えるときの基本的視点である。 このような視点に立つとき、他の条件にして等しければ、国民医療費の割合が 高ければ、高いほど望ましいという結論が導き出されるのである。国民医療費 が高いということは、医師を始めとして、医療にかかわる職業的専門家の数が 多く、その経済的、社会的地位も高く、またさまざまな稀少資源が、保健・医 療サービスの供給に投下され、より多くの有形、無形の稀少資源が、医学ある いは関連する学問分野の研究に投下されることを意味する。このときに、社会 全体でみたとき、人間的にも、文化的にも、安定した、魅力あるものとなると いってよい。制度主義の経済学というとき、このような医療制度が経済的、財 政的に可能にするために、どのような制度をつくればよいかという問題を考え ることを意味するわけである。
◆医療資源の最適配分
 医療のために配分することのできる稀少資源一医師や看護婦、検査技師など のコメディカル・スタッフも含めてーは限定されたものであって、すべての市 民が、必要とする医療サービスを自由に、無制限に享受することはできない。 したがって、各時点で、それぞれ限られた医療資本をもっとも効率的に、かつ 社会的な利点からみて公正に配分するためにはどのような制度をとったらよい かという問題を考えなければならなくなる。また、医療サービスの供給者であ る医師を始めとして看護婦などコメディカル・スタッフの職業的、専門家的倫 理をどのようにして内発的な動機と一致させるようにするかという、いわゆる インセンティプ・コンパティビリティの問題もまた、社会的共通資本としての 医療を考察するとき、重要なものとなるであろう。
 日本の医療制度についてみれば、1961年、国民皆保険制度の実現を契機とし て大きく変化し始めた。日本経済の様相は、1950年代に始まった高度経済成長 の過程を通じて決定的な変化を遂げたが、日本の医療の規模的拡大もまた著し かった。さらに、医療技術の高度化、医療施設の近代化のテンポも速く、それ にともなって国民医療費の増加もまた大きかった。この趨勢は、高年齢層の比 率が高まりつつある現状のもとでこれからもしばらくつづいてゆくであろう。 このような状況に直面して、国民医療費の増大が世の関心を呼び、とくに政府 財政への負担の増加が問題とされるようになってきた。第二臨調自体も、国鉄 とならんで、医療の問題がその生成の主な原因であったといってよい。しかし、 医療の問題をたんに国民医療費の増大とか、財政負担という視点からとらえよ うとするのは、本末転倒であるといわなければならない。社会的共通資本とし ての医療制度という視点からは、医療の経済的大きさではなくて、その実質的 内容が問題とされなければならないであろう。
◆現行の医療制度の問題点
 現行の医療制度について、そのもっとも重要な問題点は、保険点数制にもと づく診療報酬制度である。この診療報酬制度のもとでは、医療の供給体制を長 期間にわたって、望ましい状態に保つことはほとんど不可能であるといってよ い。
 現行の社会保険制度のもとでは、医療保険は国民健康保険と被用者保険に大 別されるが、国民の99%までが、なんらかの形での医療保険によってカバーさ れている。保険料はほぼ所得に比例するが、ある一定の上限でおさえられてい る。この点で逆進的な面をもっていることを指摘しておかなければならない。  医療給付の内容は、診察、調剤、医療材料、処置、手術、医療機関への収容、 看護、移送に対する現物給付の形がとられている。被用者保険についてはある 程度の障害補償金の制度も存在している。差し当たって問題となるのは、差額 ペット、付添い看護通院費用などの費用が入っていないことである。また、給 付率については、当初5割であったのが7割まで引き上げられた。また、老人医 療についても、1973年に無料化されたが、この制度は1983年廃止され、現在、 自己負担率を高めるような逆進的な動きが顕著である。第二臨調による行財政 改革がもたらした弊害は、医療についてとくに顕著である。
 医療費のほぼ90%が、健康保険法にもとづいて、診療報酬点数を基準として 支払いがされている。すなわち、各保険医療機関は毎月、保険の適用を受けて いる患者一人一人について、その月中におこなわれた療養について、細目にわ たってその費用を、診療報酬点にもとづいて集計し、一点を10円として算定し たレセプトを、その、医療機関の存在する都道府県に提供する。そして、社会 保険診療報酬支払基金で審査し、適切とみなされた額がそれぞれの医療機関に 支払われるわけである。
 診療報酬点数表は、甲表と乙表とに分かれているが、いずれも、診療、療養、 検査、手術などおよそ考えられる療養の類型について、それこそ微に入り細を 穿って項目が挙げられ、それぞれの項目について保険点数が定められている。 保険点数衷についてまず明らかなことは、物的なものを中心として評価がなさ れていて、医師、看護婦、検査技術者などという技術料に相当するものが極端 に低く評価されていることである。イギリスのすぐれたサービス制度が事実上 崩壊してしまった、そのもっとも重要な原因が、医師、コメディカル・スタッ フの給与体系が恣意的に、しかも極端に低い水準に定められてしまったことに あると指摘されているが、日本の保険点数制度についても同じような危惧をも たざるをえない。
 保険点数制度の弊害としてもう一つ挙げなければならないのは、それぞれの 医師の経験、技術水準などがまったく無視されていることである。技術水準の 低い経験の浅い医師が手術をおこなって失敗して、合併症を惹き起こしたりす ると、保険点数が増えて、支払額も増えてしまうという現象すら現実には起き ている。このことは、医師以外の医療関係の専門家にもみられる。とくに、看 護婦の技術料がきわめて低くおさえられ、しかも極端な重労働のもとで働かざ るを得ない条件のもとにあることは、日本の医療制度にもっとも顕著な現象で あるといってよい。
 このような保険点数表の偏向をみるとき、医療機関の大部分は経営的にとて もやってゆけないのではないかという印象をもつ。診療、処置、手術などとい う医療行為のほとんどすべてが、技術的な面をもっていて、実際にかかる費用 はとても、現行の保険点数表から算出された支払額では賄いきれないからであ る。ところが、大多数の医療機関は経営的に問題がない。これは何故であろう か。それは、医師、看護婦などの人的費用、施設、機器などの維持費などにつ いての赤字分を、検査料、薬剤料、特定治療材料、輸血料などという項目から 出てくる黒字で補填しているからである。
 このように現行の、保険点数制度のもとでは、検査、投薬、輸血などが過剰 におこなわれるのは、ある意味で論理的必然であるような印象を与えかねない。
◆医療的最適性と経営的最適性の乖離
 日本の医療制度の矛盾を一言でいってしまえば、それは、医療的最適性と経 営的最適性の乖離ということではなかろうか。医学的な観点から最適と思われ る診療行為をおこなったとき、経営的覿点からは望ましくないような結果を生 み出す。したがって、長期間にわたって、経営的に安定的な医療機関の多くが、 その診療行為がはたして医学的な見地から望ましい診療をつづけてゆくために たいへんな努力を必要とせざるを得ない。現行の医療制度を考察するとき、国 民医療費の大きさなどといういわゆる市場経済的尺度は重要な問題ではなく、 この医療的基準と経営的基準の乖離ということがもっと核心的な問題であると いってよい。
 医療費が年々高まるなかで、経済学の立場から、最適な医療費は、国民所得 の何パーセントかという設問がしばしば提起される。しかし、このような設問 は、経済学の枠組みのなかでは論ずることはできない。むしろ、医学的な見地 から望ましい医療制度はどういう性格をもつかという問題が問われるべきであ って、そのような医療制度を公正かつ効率的に運営するためにはどのような経 済的ないし、経営的制度をとればよいかということを考察することから始めな ければならない。要するに、医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に 合わせるべきであるというのが、社会的共通資本としての医療としての考え方 の基本的意識であるといってよい。
 このように、社会的共通資本としての医療制度を考えるとき、その基本的条 件は、医師が、医学的見地からもっとも望ましいと判断した診療行為をおこな ったとき、そのときに必要となる費用が、その医師の所属している医療機関の 収入と常に一致しているということである。また、患者の立場からするとき、 所得の大きさ、居住している地域、人種的ないしは性的を条件などの如何にか かわらず、医学的ないし医療技術的な観点から、そのときどきの最適な診療を 受けることができるということが、需要面からの要請である。需要面からみて は、現行制度は改善の余地はあるにせよ、かなりすぐれたものであるといって よい。保険料率の漸次的低減、給付率の漸次的上昇、とくに老人医療の無料化 の方向に進むことが望まれている。しかし、現在進行中の医療制度の改革は、 このような視点からみるとき、まったく逆行的であるといわなければならない。 (月刊保団連2001、5、No707、P6より転載)
今後の歯科医療の方向を探る
非対称情報の市場において評判が果たす役割
Akerlof(1970)は中古車市場における欠陥車(英語でlemon)の存在を例にとっ て次のように論じた。一般に、中古車の売手は自分の保有車の品質についてよく 知っているのに対して、買手は一見しただけでは中古車の品質を区別できない。 買手が品質判断できない以上、中古車の価格は市場に出回る商品の平均品質を反 映して決まる。そうなると、平均品質より高い品質の中古車の売手は市場から退 出するだろう。そうするとますます平均品質が低下するとともに市場価格は下落 していくので、品質が高い順に売手は中古車市場から退出していくことになる。 悪貨が良貨を駆逐するこの現象を逆選択(adverse selection)という。
医療経済学−医療経済分析のマクロとミクロ
これは「厚生経済学の第一定理」と呼ばれていますが、これが真であるためには、 実は色々な前提が成立しなければなりません。中でも重要な前提は、「商品の売 り手と買い手の双方に、その商品の質について正しい知識がある」ということで す。通常、医療サービス、特に急性疾患に関するそれについては、この前提が満 足されず、医師は自分の提供するサービスの質についての知識を持つとしても、 患者は医師から提供されるサービスの質についてほとんど知識を持たないという ことが言われています。そして、このような状況の下では、自由な市場経済は上 手く機能しない
平成11年度医療経済・経営検討委員会報告書平成12年3月
日本医師会医療経済・経営検討委員会
はじめに
経済全体に関する規制改革論議の活発化と歩調を合わせ、医療をめぐる規制緩 和・規制再構築も盛んに論じられている。一方には、「時代の変化と技術の進 歩をふまえ、実態と乖離した規制は改めていく。同時に、経済のグローバル化 の帰結として生じかねない、医療アクセスに対する著しい不平等の発生を回避 するために社会保障制度を強化すべきである」と説く傾聴に値する意見もある。 他方、社会にかかわる崇高な理念を無視し、主に効率と利益インセンティブに 基づいて物事を判断する市場経済至上主義者たちが唱える、「混合診療と営利 企業への門戸開放」といった、断固否定すべき規制緩和論も存在する。
医療に対する3 つの思想と規制緩和論
第一の考え方は、「ニーズをもつ人々にできるだけ高い質の診療を平等に提供 する努力こそ医療の目標」と捉える思想である。この見方に立てば、現状の諸 問題はむしろ医療費の不足によって引き起こされており、日本の医療費対GD P比が国際的に見て低い事実が根本原因として指摘される。目指すべき戦略は、 「高齢者医療制度創設を梃子に医療保険を抜本的に改革する。同時に、新たな 医療費財源を求めて公的保障を充実させ、受療の平等を確保しつつ医療の質を 上げていく。また、少子化社会にあっては小児医療の患者自己負担軽減は喫緊 の目標である」となる。
第二の考え方は、「医療保障は社会の安心感の根幹をなす制度の一環である。 なお医療の質を高める努力は大切とはいえ、医療費の上昇は適切に制御される べきだ」と表せる。この立場にとっての最大の課題は、わが国医療費の増大傾 向、取り分け対国民所得比等で見た趨勢がもたらす、健康保険財政の破綻防止 策の構築となる。他方、質にからめて、医療提供体制が適切に機能分化されて いない点をも問題とする。改革の方向としては、「診療報酬制度や薬価制度を 改めて医療提供者に対するインセンティブの仕組みを変える。合わせて、診療 情報開示を推進すると共に、病床区分規制と地域医療計画などを見直して提供 側に対するコントロールを強め、医療費の過剰な増大を抑えつつ、医療保障制 度を堅持し、医療の質を高める。さらに、患者にコスト意識をもたせるため適 切な自己負担を課す」方向が目指される。
第三は、医療も他の産業と同じように、「価格競争まで踏み込む市場原理を働 かせ、消費者の自己責任による選択と提供者の利益志向努力が効率的資源配分 を生む」と考えるグループである。この思想によれば、市場原理活用による効 率性を阻害しているいろいろな要素のうち、もっとも大きな障害は、「画一的 で強制的な医療保険制度」と「医療提供者に求められる非営利原則」と意識さ れる。当然、「上乗せ価格を認める柔軟な診療報酬制度に改め、医療機関の格 付けなどを利用して保険者機能を強化し、営利企業を含め医療市場への参入を 自由にすべきである」という政策3 点セットが導かれる。
面白いことに、第三の立場から唱えられている規制改革案の半分はむしろ規制 強化策に分類できる。すでに医療法に書き込まれているインフォームド・コン セントのより強力な義務づけ、つまりは罰則規定の導入、同じく診療情報開示 の法による強制、消費者契約法の医療への適用、公的な医療機能格付け(今で も私的な機能評価を妨げる規制はない)などが代表である。
ここでは日本の病院が早急に取り組むべきことを簡潔に 列挙してみましょう。
●アメリカ人からみた日本の病院
 昨年の11月にアメリカの医療・福祉機関を訪問し、日本との違いを実感 してきました。その内容については昨年の帰国後の本メルマガでお知らせ しましたが、要約すると下記のようになります。
・自らの施設の存在理由と使命をはっきりと認識しており、それを明確に  プレゼンテーションできる。
・自らの得意分野と不得意分野をはっきりと峻別し、不得意分野については  徹底的なアウトソーシングをしている。
・長期的な構想を明確に持っており、着実に一歩一歩その構想を実現してい  く。
・医療経営上においては、ボランテイアと寄付金が大きな位置を占めてお  り、補助金や助成金等の「官」を当てにせず、「民」を当てにする経営が  されている。
・「民」を当てにするため、民間の評価を非常に大切にし、良い評価を得る  ために努力する。
・公立病院においては、収支はマイナスで、その差額は税金で賄われるが、  それは「郡のコスト」として納税者の負担であるというコンセンサスが得  られているように見える。公立病院は「ラスト・リゾート」としてどこに  も行きようの無い人を引き受ける。
 今回取り上げた本の著者は、1991年から医療法人鉄蕉会亀田総合病 院で管理部門に在籍し、現在同病院の特命副院長の立場にあります。その 約10年間の日本の病院の現場での経験から、この本を著したのです。従っ て単なる机上の問題点の指摘ではなく、非常に具体的な問題点の指摘に なっており、説得力があります。
 日本人としては驚くのですが、著者は日本の病院の問題点の根底に、 日本の「公的医療制度」があると指摘しています。「官」による規制が大き く、多く、強すぎるために、何をするにも「官」の認可や承認が必要とな り、そのことが日本の医療の進歩を著しく妨げている、と主張しています。 道理で私が Habor UCLA Medical Center で、日本の公的医療制度をど う思うか、とアメリカの医師やスタッフの皆さんに尋ねたときに、誰も答え なかったはずです。
●民間企業参入
経営者の違い
 社福法人等における経営者は、基本的には「医師」または行政の福祉分野 における経験者等が多いことに対し、民間企業の場合は「経営」の専門家で あること
資本力の違い
 社福法人等においては資金調達において補助金と銀行借入が主となるのに 対して、民間企業においては銀行借入だけではなく株式や債券発行という資本 市場からの直接金融等いろいろな資金調達が可能なこと
同族経営と組織経営
 社福法人等においては同族経営が多いことに対して、民間企業では同族経 営でない、いわゆる「資本と経営の分離」がされた組織的な経営が多いこと
規模の違い
 社福法人等の規模は一般的には民間企業に対して規模が小さい法人等が 多いこと
コスト管理ノウハウの違い
 都市部において特養ホームの開設が少ない理由は、地価や人件費の高さに 代表される高コスト地域であるために「採算が取れない」ことが大きな理由と考 えられるところ、民間企業においてはコスト管理により高コスト地域においても 低コスト運営を可能にするノウハウを持っている場合があること
競争に対する経験
 社福法人等は今まで「護送船団方式」により、他施設との競争の経験があま り無かった。特に特養ホームは介護保険スタート前には全くと言っていいほど 競争が無かったこと。それに対し民間企業においては競争は当然のことであり、 競争に勝つために他の企業との差別化や他の企業にないサービスを創意工夫 する必要性があったこと
給与体系の違い
 社福法人等では基本的には「年功序列賃金」が主となっていることに対し、民 間企業では「評価に基づく能力に応じた給与体系」が主となりつつあること
1.31 厚生労働省、営利法人による病医院経営は実現困難との考え示す

1999年(平成11年)8月15日(日曜日)日本経済新聞より
異業種・外資企業の医療・介護関連分野への最近の参入例
<98年>
7月 松下電工が在宅介護サービス子会社設立
9月 セコムが船橋市の病院の土地・建物を取得
12月 トーメン傘下企業が調剤薬局事業に参入
   セコムが船橋市に「セコメディック病院」開業
<99年>
2月 ジャスコが調剤薬局大手クラフトに資本参加
   丸紅が調剤薬局大手アインファーマシーズに資本参加
4月 TOTOが調剤薬局を開設
6月 三井物産がSRL系調剤薬局企業に資本参加
8月 TRCが日本の医療機関の系列化を表明
米病院チェーン日本進出
まず経営支援事業
医療機関を系列化
世界六カ国で五白六十四カ所の医寮機関を運営する米トータルリーナルケア (TRC、カリフォルニア州、ビクター・シャルティエル会長)は医療分野の規 制緩和をにらみ、日本国内で医療機関のチェーン展開に乗り出す。全額出資 子会社を日本に設立、既存の医療機関の経営を支援する形で事実上、系列化 する。海外の医療機関運営大手が日本に進出するのは初めて。米国流のマネ ジメントを売り物とする同社の進出で、規制に守られ、コスト管理などで後 れを取っていた日本の医療機関は一層の経営改革を迫られる。
規制緩和にらみ先手
TRCはトータルリーナルケアジャパン(東京・中央、グレゴリー・ ローズ代表取締役)をこのほど設立した。まず人工透 析治唐を手がける医療機関を対象に系列化を進める。
後継者がいない、経営が安定せず廃業したいといっ た医寮機関の土地、建物、設備を買い取る。TRCJ の独自の病院経営の手法、ノウハウも提供。土地など の賃貸収入や経営指導料を取る。将来は医療機器、医 薬品をTBCJが一括購入、コストを大幅に引き下 げる。
複数の国内医辟機関と透析部門の譲渡について交渉 中で、年内にまず二カ所の医療機関を系列化する予 定。大手医療法人との提携でも具体的な交渉に入っ た。同分野で数年後には国内トップを目指す。
日本では医療法により、民間企業による医療機関経 営は認められていない。このため経営主体は既存の医療 法人や医師のままとし、TRCJは経営指導などで 間接的にかかわる形を取る。政府の行政改革推進本 部の規制緩和委員会が医療機関経営への企業の参入を 提言するなど、企業による病院経営解禁を促す動きが 出ており、TRCJは解禁を待って系列の医療機関の チェーン化に踏み切ると見られる。
 TRCは米ニューヨーク証券取引所に九五年に上 場、九八年の売上高は約四億七千方ドル米、英、独な どで透析治療専門の医療機関を経営、四万四千人以上 の患者を治療している。TRCに続き他の大手医療機関 運営会社も相次ぎ、日本市場に参入する見通しだ。