管理EBMのもたらすもの2001・07・02
本田整形外科クリニック 本田忠
療養担当規則
診療行為別に細かく規定されている。検査の間隔から、湿布の枚数まで細か
く規定されている。患者さんのもとめに対し、少しオーバすれば直ちに削られ
る。結果過剰診療となる。データ的には不正請求ですね。施設基準も、人員配置も厳密に決められている。
管理EBM:医療のマクドナル化。TDL化
この療養担当規則をより厳密にする。疾患別に標準的な医療を定めて、それ
から外れた医療は厳しく制限する。DRG/PPSとEBMを使用する。急性期医療を疾
患行為別にパターン化して包括化して丸めとする。その疾患でそういう治療な
らこれ以上は払いません。まさしくマニュアル医療ですね。患者さんや疾患の
多様性をパターン化する。多様性から外れた場合が問題にはなる。
マニュアル医療の利点と欠点はすべてでる。医療のTDL化。マクドナル化。
医療の「品質」は安定化するかもしれない。平均化する。若干効率化はなされ
るが医療費は高騰する。同時に医療従事者はやる気をなくす。プロフェッショ
ナルフリーダムの制限。まさしくアメリカのマネジドケアの失敗そのものである。
アメリカ医療の光と影(李啓充/医学書院)
保険会社は「マネジドケア」を「EBM」と言いかえて、手法をまねている。
「誰かから細かく管理されたり常に干渉されたりすれば、実際に仕事をしてい
る人に反感を抱かせるだけでなく、その勤労意欲をそぐだけだという事は医療
以外の分野では常識だった。マネジドケアは、こんな簡単な事に気づくのに
10年もかかった。」
医療の効率化は価格高騰を招き、かつ管理強化により医療従事者の士気は
低下する。
専門家の地位低下(コスト削減)
マニュアル医療の進行と、低医療費政策で、現場では同時にコスト削減圧力
がかかるわけで、専門家のコスト削減を行うことになる。マニュアルさえきちんとすればコストのかかる高度の専門家の必要性は薄い。代替医療従事者の権限
の強化。医師ができることは看護婦さんへ、看護婦さんができることは看護助手
へ。医療がカバーすることは予防医学へ、あるいは民間医療を積極的に導入す
る。より安く、当然質の低下も否めない。
コスト削減すれば、医療の質の低下を招く。正確な医療原価を把握すべきである。
参考文献
医学界新聞第2386号 2000年5月1日
〔連載〕 「アメリカ医療の光と影(26)」―マネジドケアの失敗(3)
李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)
米国の医療は原則的に市場原理の下で運営されているため,国民の大多数は
その医療保険をあまたある民間の保険会社から商品として購入する。市場原理
の下での医療を推進する人々は「医療も社会の他の経済活動と何ら変わるとこ
ろはなく,市場原理・競争原理を取り入れることで,医療の効率化と同時に質
の改善が達成される」と主張するのだが,市場原理の下では,経済力の乏しい
者が望む商品を購入できなくなるのは必然であり,経済力が乏しいゆえに医療
へのアクセスが保証されない階層が出現することとなる。
米国の公的医療保険メディケア(高齢者用),メディケイド(低所得者用)
は,市場原理に任せきりにしていたら医療へのアクセスを閉ざされてしまう人々
が出てしまうことに対する,国家としての是正処置として存在していると言っ
てよい。膨大な税金を投入して公的医療保険という是正処置を講じているのに
もかかわらず,90年代に入って,米国では何ら医療保険を有しない無保険者の
数が増え続けており(現在国民の7人に1人が無保険者),ここ数年の空前の好
景気も無保険者の解消にはまったく貢献していない。実は,マネジドケアの隆
盛がこの無保険者増加の一因となっているのである。
マネジドケアのせいで増え続ける無保険者
マネジドケアは「より安い価格でより良質な医療を提供する」ということを
約束して登場したのであるが,この約束が達成されていたならば,これだけ好
景気が続いているのであるから,無保険者の数は減っていたはずである。一体,
なぜマネジドケアのせいで無保険者の数が増え続ける結果となったのであろう
か?
このことを理解するためには,まず,市場原理の下における医療保険会社の
経済行動原理を理解しなければならない。営利の保険会社にとって,その第一
の任務は,利潤をあげ投資家に配当として還元することにある。利潤をあげる
ためには,収入を増やすとともに,支出を減らすことが必須要件となる。支出
を減らすためには,被保険者の医療に要する医療費の実額を減らすことがてっ
とり早い手段となる。保険会社の経営業績を表す指標の1つとして「医療損失(m
edical
loss)」という言葉が存在するが,この言葉に営利保険会社の本音が見
事に集約されている。
保険会社にとって,「被保険者の医療に出費することは『損失』であり,『負
け』である」と言っているのである。実際,ウォールストリートの投資分析家
たちは,医療損失が85%を超えると配当が期待できないとし,保険会社が優良
な投資対象となるためには医療損失を80%程度に抑えることを期待している(ち
なみに,連邦政府が税金で運営するメディケアの「医療損失」は97-98%である)。
保険会社にとってウォールストリートから見離され株価が低下することは企業
の死活問題に直結するから,医療損失はどうしても低く抑えなければならない
のである。
果たされなかった「約束」
保険会社にとって,医療損失を減らす最も有効な方法は,病人を保険に加入
させないことである。健常者を優先的に医療保険に加入させる行為は,サクラ
ンボ摘み(cherrypicking)とかクリームすくい(cream
skimming)とか呼ばれ
るが,サクランボ摘みの例をメディケアHMOに見てみよう。
メディケアとは連邦政府が管轄する高齢者医療保険であるが,これを民間の
マネジドケアに運営させることで「より安価でより良質な医療を提供しよう」
いうのがメディケアHMOが導入された目的であった。米政府は,HMO加入者1人当
たりに対し,メディケアの平均コストの95%を保険会社に支払うことでこの制
度をスタートさせたが,米政府の目論見通りにマネジドケアが成功すれば,米
政府はメディケア支出を患者1人当たりにつき5%減らすことができるはずだっ
たのである。また,保険会社は薬剤給付とか眼鏡作成などの付加サービスを提
供し,メディケアHMOは旧来型のメディケアよりも「お得な」医療保険となるは
ずであった。
ところが,現実には米政府の支出はメディケアHMOという民活化によって逆に
増える結果となった。というのも,HMOというのは「保険会社が提供する医師・
病院のネットワークの中でしか医療が受けられない」とか,「医療サービスを
受ける際に保険会社の門番役を務める主治医を通じ,保険会社による事前承認
を得なければならない」という仕組みになっているために,病気を抱える高齢
者にとっては「それまでの主治医を変えてまで『不便』なHMOに切り替える必要
がない」と,メディケアHMOは魅力ある商品とはならなかったからである。メデ
ィケアHMOには,その不便さがあまり苦にならない「健常な」高齢者が付加サー
ビスを目当てに加入することとなった上に,メディケアHMOに加入した患者もひ
とたび病気になると「医師や病院を自由に選べる」旧来型のメディケアに切り
替えるという事態となり,HMOの仕組みそのものに「サクランボ摘み」構造が内
包されていることが証明される結果となったのであった。
有病者の比率が高まり逆に出費が増えることとなった米政府は,メディケア
HMOに対する支払いは寛大すぎたと,97年の財政均衡法でその支払いを削減させ
たが,するとたちまち,「これでは採算が取れない」とメディケア市場から撤
退する保険会社が続出し,マネジドケアは「より安価でより良質な医療を提供
する」という約束を果たさないまま,40万人のメディケアHMO加入者を置き去り
にしてしまったのであった。また,市場に残った保険会社も薬剤費給付などの
付加サービスを削減するなど,約束を平気で反故にするありさまであった。
メディケアHMOの失敗は,医療を市場原理に委ねたとき,「企業の一方的な都
合で,約束されたサービスがある日突然消えてしまう」ということが起こり得
ることを実証したのであった。
選別される被保険者
非高齢者の医療においても,マネジドケアはその低価格さを売り物に企業な
どと大口契約を結び,企業での就労が可能な「健常者」を集めることを優先さ
せた。その結果,社会の中に「企業を通じて加入する健常者を対象とした安価
な医療保険」ができる一方,病気になったために企業で働くことができなくな
った人々には,「著しく高価な自己加入の保険」を購入できない場合,無保険
者となるしか道が残されなくなった(低所得者用の公的医療保険メディケイド
に加入する選択もあるが,そのためには蓄えを使い果たして「貧乏」となる必
要がある)。
米国では,企業など雇用主を通じて加入する医療保険は,各企業と保険会社
が保険料やサービス給付について個別に契約を結ぶ仕組みになっているのであ
るが,例えば心臓移植や腎臓移植を受け元気になった患者が「働けるようにな
ったから元の職場に復帰したい」と希望しても,雇用主が中小企業の場合には,
「免疫抑制剤」などで高額の医療費がかかる人が戻ってくると企業全体の保険
料が上がってしまうため,職場への復帰を拒否されることが当たり前となって
いる。
「命は助かったが働くことができない」人々にとっては,無保険者となるか,
天文学的数字の医療費を払いながら蓄えを使い果たしメディケイドの適用を受
けるか(なまじ働いて収入を得るとメディケイドの受給資格を失うので元気な
のにブラブラ暮らすしかない)の選択しか残されないのが現実となっている。
米国で毎年無保険者が増え続けていることの原因の1つが,マネジドケアが「サ
クランボ摘み」に励んだことにあることがおわかりいただけよう。
保険会社は健常者と有病者とによって保険料を変えることを「リスク調整(r
iskadjustment)」と呼び正当化しているが,ニュー・イングランド・ジャーナ
ル・オブ
・メディシンの前編集主幹ジェローム・カセラーと現編集主幹のマルシア・ア
ンゲルは,サクランボ摘みに励むマネジドケアの商法は,「リスク調整では
なくリスク回避(riskavoidance)である」と,これを強く非難している(同
誌1998年12月24日号)。
下記医学書院ホームページ・医学界新聞ページをご覧下さい。
http://www.igaku-shoin.co.jp
マネジドケアがもたらしたもの
――「短期集中連載」をご寄稿いただきましてありがとうございます。お蔭さま
を持ちまして今回最終回「ミレニアムをまたいだ帰国の機上で考えたこと」を掲
載させていただくことになりました。ところで,今回は前回(2年前)に比較しま
して,どのような印象の違いをお持ちでしょうか。
日野原 まず,マネジドケア
の行き過ぎが大きな問題を起こしていることですね。これは連載の中にも書きま
したが,これに因を発した病院の合併はことごとく失敗したと言っても過言では
ないと思います。
その典型例が,BID(ベス・イスラエル・ディーコネス)メディカルセンターで
す。ベス・イスラエル病院とディーコネス病院の合併によって1996年にできたBI
Dメディカルセンターは,合同した両病院の医師やナースが円滑に融合する雰囲気
に乏しく,大変な困難に直面しています。特に両病院の麻酔医らが妥協せず,つ
いにディーコネス病院の麻酔医や有能な循環器専門医がライバルであるところの
ブリガムウィメンズ病院に転職してしまいました。
米国の医学について看護界の動きについて今回の連載でも,MGH関連の大学院MGH
Institute of Health
Professionのユニークなシステムを紹介しましたが,看護
界は先ほど述べたマネジドケアの導入による病院合併の影響をもろに受けている
と言ってよいでしょう。
ことにナース不足は焦眉の急で,「non‐professional
personnel」と呼ばれる,
患者さんの身の回りの世話をする若い高校出の女子が採用されるようになってい
ます。ご存知のように,米国は未曾有の好景気の最中にありますが,その結果,
看護を志望する女性が次第に減少し,それがこの悪状況にさらに拍車を掛けてい
ます。
病院に支払われる老人患者のメディケア額の減少に加えて,この3-4年来,HMO
(Health Maintenance
Organization)や,カイザー(Kaiser)関係の民間の保険
会社が病院と交渉して,入院や外来の診療費,検査料,治療費の切り下げを病院
ごとに交渉し,値下げを承諾しなければ被保険者,すなわち患者が保険でかかる
ことのできる契約を病院と結ぶことを断わり,医療費の切り下げをあえて受容し
た病院や開業医に対しては,患者をその医師または病院に回す,といったラディ
カルな戦略をとるに至った。そこで,HMOその他の保険団体に対抗するために,い
くつかの有力な病院がグループを作って対応せざるを得ないということになって
きたのである。
すなわち,ある患者がHMOの指定を受けた開業医や病院を訪れても,病気,病状
によって検査の枠が決められ,治療法も制限され,在院日数も限られることにな
り,医師が患者のために最適な診療をすることが難しくなったのである。
マネジドケアの本体
このような体制の医療を,英語では「マネジドケア(Managed
Care)」と言い,
日本語に訳すと「管理下医療」ということになる。マネジドケアというのは,医
療コストを高くする入院,救急受診,専門医受診の頻度をできるだけ減らす目的
で,保険団体が医療内容へ介入することである。
国民皆保険の日本の健康保険は,米国の今日ほどに厳しい枠は少なく,検査の
内容や在院期間についてもまだまだ医師任せのことが多い。また日本では医師が
オーバーな検査や治療を行なっていても,米国のように専門監視ナースが派遣さ
れて調べるといった実地でのチェックがなく,きわめて大雑把な書類審査でしか
管理されていない。米国では,HMOのような保険会社は次のことを行なっている。
(1)門番(gate
keeper)としての主治医制−患者に保険会社の作ったリストの中
から,主治医を選ばせる(これは英国での公務員としてのGPを住民が選んで,登
録させるシステムに似ている)(2)利用度の管理−保険会社に属する専門ナースが
派遣され,診療した医師による医療の内容が適正か否かを見張る(3)症例管理−多
額の医療費支払いとなる患者のところには保険会社に属する専門ナースが派遣さ
れ,そのナースは効率的な医療が行なわれるように忠告し,また末期患者への不
必要な医療が行なわれないようにする
米国やカナダでは,かつての自由診療(かかりたい医師または病院を訪れ,患
者や医師が希望するような制限のない医療)は消滅し,医療国営の英国のように
なっている。今や米国は,健康保険の厳しい制限の枠内でのマネジドケアの時代
に入ったと言えよう。米国では,1985年に病名や病状別に診断治療の枠を設ける
という制度(Diagnosis Related
Grading:略してDRG)がメディケアを中心に行
なわれてきたが,これが一般の保険にも適用されるに至った。そのための検査や
治療法は,一定の制限下でなされるProspective Payment
System(PPS),すなわ
ち定額(まるめ)の支払いがなされるわけである。
米国の大病院または教育病院は,政府保証のメディケアの減額と,保険会社に
よるマネジドケアの管理によって収入が減少する。そしてその一方では,人件費
は高くなるということから,未曾有の高景気にもかかわらず病院の財政はピンチ
に陥っているのである。これ以上,保険会社の関与によって過当競争を強いられ
ると病院は赤字となり,借金で倒れてしまうのである。
ベス・イスラエル病院の場合
医療機器の購入1つとってみても,単独の病院だけで買うよりも,いくつかの大
病院が連携して,大元でまとめて機器を購入することによって大幅の値引きをし
てもらうようにしなければ,いくら病院の出費を抑えても病院は赤字を免れるこ
とができない。そこでボストンでは,例えば,ベス・イスラエル病院のような病
院が,どこをライバルにし,どこを味方にしてチームを組むかが問われるように
なった。その場合,医療のレベルや研究のレベルを下げずに,名声を保つにはど
この病院と組むのが得策かが問われるのである。
大病院のコンピュータ・システムや経営陣の規模も,いくつかの病院が合併ま
たは協定すると,会社や工場の合併と同じように管理費は節約される。
ベス・イスラエル病院は,MGHやブリガムウィメンズ病院と診療,研究,教育の
面で長年競い合ってきた。ベス・イスラエル病院とブリガムウィメンズ病院とが
組めば最も強力になるが,数年前ベス・イスラエル病院の看板教授であり,循環
器病学の泰斗であるブラウンワルト(Braunwald)教授は,ある時急にブリガムウ
ィメンズ病院に移り,しかもこの病院はMGHと協定することになった。この報を受
けて,ユダヤ系のベス・イスラエル病院は,宗教上ではまったく異なる,しかし,
その向かいの通りにあるプロテスタント系のメソジスト派の名門のディーコネス
病院と思い切って合併することを決めたのである。ベス・イスラエル病院は私が
20年前に初めて訪れた時には600床を持ち,看護婦は1200人(日本の大病院では6
00床に対して看護婦数は約300人)も採用され,総従業員2400名という大所帯の病
院であった。
一方,米国全体が医療費節約のため,急性期の疾患を扱う病院では,患者の平
均在院日数は8-10日,さらには現在のベス・イスラエル病院のように4-5日にまで
短縮されるに至った。そして,外科手術の6割は日帰り手術となったので,外科病
棟の病床の約3分の2は閉鎖された。しかし一方では,外来病棟が近代的な設計で
建てられ,そこでは最高の医療がなされ,Day
surgery(日帰り手術)の部門は非
常に効率よく機能しているのである。
先にも述べたように,ベス・イスラエル病院とディーコネス病院とは3年前に合
併して,前者はイースト・キャンパス,後者はウエスト・キャンパスと呼ばれた
が,両方でまだまだ重複して機能しているところがあるために,人件費や場所の
運営費・設備費などは予算をはるかに上回るに至っている。合併時はディーコネ
ス側には250床,ベス・イスラエル側には350床という病床の割り振りであったが,
西と東のキャンパスに病床を分離することが赤字を生む大きな理由となってきた
ようである。
そこでラブキン先生に代わって両キャンパスのChief
Executiveとなったクレッ
セル(H.Kressel)院長は,両者をもっと合理化して赤字を減らす方針を打ち出し
た。今後ベス・イスラエル病院のほうは,産科病棟42床を除いて,救急センター
以外の急性病床は閉鎖し,病床の多くはウエスト・キャンパスに持っていく計画
を立てたらどうかとのことである。両者の合併によりベス・イスラエル側の建物
は50万フィート(約1万4060坪)のスペースが空くので,これをどこかに貸すか,
または他の診療または研究のために用いるかを目下考慮中とのことである。
翻って見るわが国の医療の現状
保険会社(HMOなど)が医師の行なう医療行為の適否を決める仕組み(これを利
用度審査と言う)は,医師の側だけでなく患者,すなわち医療消費者の側にも問
題を生じる。これに関して米国では,1997年11月に「医療消費者保護に関する大
統領諮問委員会」が患者権利法案を提出した。
米国では,医療を受ける患者の声を尊重する伝統を持つことが,日本の実情と
はだいぶ違っており,このような法案がバッファーとなってマネジドケアの行き
過ぎにブレーキがかかるのである。
その導入のスピードは緩やかではあるが,今やこの米国の過激とも思われるDR
G/PPSによる枠決めの考え方を,国立病院を中心に厚生省が試験的に行なってい
るのがわが国の現状である。
私は日本の一般の診療費には,あまりにも無駄が多すぎると思っている。また,
病院や開業医の側での自己規制が少なく,収入増のためには扱う患者数を増やし
て,ひたすら増収を図るという方向に走ってきたが,これは医師側がもっと反省
しなければならないと思う。「3分診療」という呼び方で日本の医療が他の文明国
から軽蔑されている問題点を,外来診療の大改革により1日も速く打破しなくては
ならないだろう。日本の保険医療の点数づけの最大の欠点は,医師の能力や,診
療に要した時間をまったく無視していることによって生じた試算であることによ
る。そして,専門医,または認定医の評価が計算に入れられていないところに不
合理性があるのだと思う。19年にわたる各学会による学会認定医制協議会の筋の
通った答申を,日本医師会が取り上げることをいまだに控えているのは,大きな
問題ではなかろうか。
専門医の認定については,医師と患者とが協力して考えていかねばならない問
題だと思う。というのも,専門医の評価とその公示は,医師側の問題以上に患者
にかかわる問題だからである。学会認定医制協議会は,医療の消費者にもこの制
度の実現のために意見を聴取する場を作らなければならないと思う。患者側を代
表する有識者を,上述の協議会に参与させることも,今後は考えるべきだと考え
ている。
合理的な大学や病院の経営
またすでに述べたように,米国の一流の教育病院では,今や看護婦不足が叫ば
れているが,それでも入院病床500床の病院の看護婦数は1000名以上である。日本
は500名の入院患者に対して,250名の看護婦しかあてがわれていなかったが,最
近ようやくその1.5倍に増員するように厚生省から勧告されている。日本の病院の
看護サービスをよくするには,どうしても病床1対看護婦1人の比率にまでに上げ
なくてはならない。そのためには,病院事務職や臨床検査技師,その他栄養士な
どを専門会社からの外部委託として人員減を図るべきだと思う。日本の病院は機
械の購入には予算を出すが,人材を合理的に増員することをタブーとしている。
これは介護についても言えることであり,日本の老健施設での介護の人員は,米
国や北欧のそれと比し,4分の1にすぎない。これも日本にとっての今後再検討を
要する問題である。
米国の病院経営は日本よりも厳しい現状にあるが,NIHや2大民間機関からの研
究費や教育費の助成は日本の医学校や病院の予算に比べるとはるかに多額である。
米国では,好景気の下にNIHの研究助成も毎年10%のレベルで増額されている。医
学校の経営についても,医学生の支払う学費は全予算の10%にすぎず,他の財源
を獲得して教育人材数を多く,しかも自己学習用のシラバスのような教材にも膨
大な費用をかけている。しかし,レジデントやフェローへの生活費の保証は,ぎ
りぎりのところに抑えられているのが現状であり,彼らへの部屋や机などは供給
されていないところもある。
まとめ
米国の医学や看護の中から,何をどう選別して学ぶべきかを私はこの1週間のボ
ストン訪問でじっくり考えさせられた。
日本に,米国の行きすぎたマネジドケアをそのまま輸入することは危険である。
しかし,もっと医療関係者の内部から,無駄な,無秩序な医療をなくし,患者の
人権が守られるような,よき医師と患者との新しい関係が樹立されなくてはなら
ないと思う。いくつかの国立の医学校や病院の統合は必要であろう。その場合,
医師の数は減らしても,教職数は減らすべきでない。これまで医師が行なってき
た医療の,少なくとも3分の1は,特に教育された臨床専門ナースによって代行さ
れるべきであろう。一方,急増した看護大学の中にも,医学校同様整理されるべ
きものもあろう。病院経営上,赤字の莫大な国立または公立病院は合併して,合
理化すべきであろう。近く高知県立中央病院と高知市民病院が合体し,病床を減
らすという計画を聞いたが,時機を得て誠に喜ばしいことである。
しかしこれとは別に,若い世代,中年の世代の国民によき健康教育がなされる
べきである。悪い生活習慣病を減らして,よい習慣を体得させる努力をし,先天
性疾患や心身障害のある者を除き,「自らの健康は自らが守ること。それには自
費を用いること」も考えるべきである。そして,慢性疾患を持つ60歳以上の高齢
者の医療や介護は国家の関与する保険を活用させ,老後の生活を安定させること
が必要だと思う。
また,今日見られる医療と介護の縦割り体制にも一考を要する。高齢者の医療
にはなお一層専門ナースの援けを求めるべきだと思う。そのための看護教育の大
刷新も急務である。
以上のことを考え続けている間に,飛行機は成田空港に着いてしまった。刺激
の多かった年末の調査旅行は,これからの私の活動に大きなエネルギーを与えて
くれるものと思う。私に貴重な時間を提供してくださった方々に感謝したい。(終
わり)