医療市場開放論批判20001/07/06

本田整形外科クリニック 本田忠


はじめに

 小泉内閣の聖域なき構造改革では、当然医療もその存在意義を問われております。ここに当初にあげたように、内容を見れば純粋に市場原理にのっとった医療を構築しようとしております。ではその理論的背景を考察し、それに対する意見を述べてみたいと思います。


代表的な医療市場開放論は以下の様である。氏名をクリックすれば各位の全文が参照できます。
市場開放論1竹内靖雄氏
医療保険制度の健全化は自己責任の原則で
 では、どうすればよいのか。具体的には次のような形が考えられるだろう。
T.生活に破綻をきたすような特別な高額医療だけを民間の任意保険で賄う。
U.その他の一般の医療サービスは自己負担とする。支払い能力に応じて医療 サービスの質や量を選び、他の財・サービスの場合と同様に、自分で金を払っ て購入する
V.身よりがなく、働くこともできないといった例外的な少数の人々、特定の 難病などについては、公的扶助による医療サービスを無料提供する。
その財源は税金で賄う──。以上のシステムはアメリカ型の医療保険制度に近い、 市場経済の原則を基本としたやり方である。 医療だけは特別で、万人に平等に安く提供されるべきだと思うのはおかしい。

市場開放論2大田弘子氏
社会保険は「保険」なのか
医療費については軽い治療個人負担とし、重い病気の場合にのみ社会保険給 付の対象とすることになる。現在の制度は税と社会保険の考え方が混在して いるが、大きなリスクの管理だけを社会保険の役割にすることで、老後の不 確実性が減少し、自助努力で備えておくべき範囲が明確になる。

市場開放論3 本間正明氏
1)財政錯覚
患者側には社会保険や税から支払われている部分の医療費が見えない。つまり、その「財政錯覚」と呼ばれるコスト負担がないかのような錯覚
2)「出来高払い」
医師による誘発需要を生む可能性がある。
3)情報の非対象
患者と医師の間にある情報知識の格差、いわゆる情報の非対称性は医師誘発需要を抑止できない
1)患者側の「財政錯覚」をただす
 受益者一部負担の導入とコスト認識の強化
2)患者に選べるマーケットを
 医師誘発需要をコントロールするシステムをつくる。患者に理解できる医療 内容や診療実績の開示や医師・医療機関の能力に関する。情報の公開
3)社会保障である公的保険の使命と限界を踏まえ、患者の利害を代理できる 民間医療保険を育てていく
以上が代表的な規制緩和論と思われる。

では以下のような検討を加えてみます

セーフティー・ネット
 貧困、疾病、障害、介護、失業などのリスクは誰にでも起こる普遍的な可能 性をもっており、誰もがそのような不幸な状態に置かれるというリスクに曝さ れている。社会保障制度は、このような不幸な人々の発生に備えて、セーフテ ィー・ネットという制度を全員の合意によって用意しようとするものと解釈さ れる。医療は社会共通資本であるという視点が大切である。
現在の医療制度は
1)情報の非対称性によって生じる医療の質の低下は、規制によって防止する。
医療従事者の免許制度、病院の人員配置基準・設備基準、営利病院の禁止、 病院の病床規制、広告規制などがこれに該当する。
2)所得格差によって医療アクセスに不平等が生じるのを回避する。
具体的には皆保険制度の維持、混合診療の禁止などがあげられる
この結果
1)徹底した医療アクセスに対する公平性の重視、
2)医師を患者の利益の代理人とする医師パターナリズム、
となる。確かに公平性の強調は、欠点として医療供給者間における格差の存在を開示することに対して抑制的に働く。患者の個別事情を医療に反映することが阻害される。しかし市場開放論者の主張するごとく、医療システムを市場原理に移すことは、医療費の増加と医療アクセスの不平等の拡大という副作用を生むことになり、これに対する十分な考慮がなされていないと思われる。「自 己責任の原則で健康はお金で買いなさい」。あるいは「地獄の沙汰も金次第」
 一方わが国の所得格差は、現在行われようとしている、「聖域なき構造改革 」の推進により今後拡大傾向に進むとみられる。社会共通資本である医療を、 市場原理に委せれば不平等の拡大につながる可能性が高い。医療においては市場原理の単純なアナロジーは通用しない。医療に求められるのは、規制緩和ではなく規制の再構築なのである。より効率的で質の高い医療サービスの提供を促すインセンティブをどの様に構築するのか


1)診療内容をコントロールするDCA:Dominant Complementary Agentは、 高齢化や世代間の再配分などであれば政府や社会保険が適任となると思われる。
2)自助:自己責任の原則
 社会共通資本としての医療は必要ない。リスクは自分で負いなさい。弱肉強食のまさに鉄火場のルール。弱者保護という、社会共通資本の役割を忘れている。
3)営利病院参入で、必ずしも営利病院が低コストで運営されているとはいえ ず、逆に不採算医療の抑制や、支払い能力の乏しい患者を拒否するなど、クリ ームスキミング(良いところ取り)を行う傾向がある
4)コスト感覚を上げるために自己負担をあげましょう?需要抑制
 医療費の75%は入院で使われている。いわゆる社会的入院を除き、価格弾力性 のない分野である。自己負担増にしてコスト感覚をあげて、影響が出るのは、 まさしく軽医療である。よって患者さんはより重症化するまで受診しないこと になる。病気の大原則は早期発見早期治療である。情報の非対称の存在下では 需要抑制策は解決にならない。
5)医療の効率化と質の向上が競争で果たされる?
また、医療の効率化とは質の向上、コスト削減である。質の向上は選択性(多 様性)をますことではない。ましてや競争原理であがるわけではない。医療と いう財の性質上、医師も患者も質の向上に対するきわめて強いインセンティブ を持つ。外科医にとっては手術成績の向上。内科医にとっては治療成績の向上 である。技術革新こそがポイントである。開放論者の言う保険外負担(自由診 療)などのアメニテイを増やすことが、何故質の向上になるのか、ほとんど 理解不可能である。それは医療の質の低下と無意味な医療費の増加しかもたら さない。またそれは現状通り保険負担外であろう。アメニテイでしかない。 サービスランチは保険外負担なのは自明である。医療の範疇ではない
 臓器移植を含め医療の新技術の研究には、いうまでもなく人手もお金もかか る。そこに公的保険財政の圧力が加わって日本での研究開発が停滞すれば、日 本の医療が世界から取り残されることになりかねない。その影響を最も受ける のは「患者」である。
6)医師の教育と技術革新が決めて。
 増え続ける医療費の根底にあるのは、慢性疾患の増加である。米国の年間一兆 ドルの医療費の半分は、わずか八種類の慢性疾患、いずれも完全な治療法が 確立していない病気のために使われている。単に医療費を抑制するということ ではなく、慢性疾患の影響を最小限に抑えることを考えるべきなのである。 医療という財の性質上、供給側である医師の専門家としての効率化にすべてが かかっている。医療の技術の向上とコスト意識を持った医師の育成が大切である。医療費抑制の最善の戦略は技術革新を促す環境づくり。医療技術の革新を促 す環境を守ることが医療費抑制のための最善の戦略である。むしろ積極的な投資 こそがポイントである。これは質の向上にもつながる。無原則な医療費抑制策や管理強化、監視機関の設置は医療の質の低下と医療の荒廃を招く。
7)医療需要拡大の国民経済にあたえるプラス効果を考えてみる必要がある
国内マーケット拡大の牽引車として、医療・福祉市場の重要性を強調したい。 医療は、仮りに一兆円の費用をかければ国民経済に約一兆八千億円の拡大効果 が期待されるのである。
8)情報公開やインフォームドコンセント
  情報開示によって医師と患者の信頼関係が損なわれることを避けなければな らない。「医学は不確実の科学であると同時に、確率の技術である」(オスラ ー)。全ての医療行為は大なり小なり不確実性を有している。医療行為の選択においては、患者さんも医師も確率的思考が必要であり、リスク&ベネフィッ トの考え方を判断基準にする必要性がある。情報開示では、患者側も自己責任 を持つ必要があるということを忘れてはならない。
9)医療経済学によるデータ分析を徹底的に行うべきである
 日本は医療情報後進国である。ある程度の医療の標準化を行いたとえばレセ プトデータの詳細な解析を行うことは必要である。日本医師会のORCAプロジェ クトに期待が大である。科学的、実証的検証をもっとすべきである。
アウトカム・リサーチ(医療サービスがもたらした結果の評価)やテクノロジ ー・アセスメント(技術評価)などを徹底して行いコスト効果のデータを蓄積 ・評価すべきである。管理ではないEBMは推進すべきである。

参考文献
ファイザーフォーラム
保健医療を考える