政策が決まるまでの実際の流れ



医療制度改革2002年度
経済財政諮問会議、総合規制改革会議の基本的な方向が参議院選挙前に相次いで公表され、2001年9月になって厚生労働省が医療制度改革試案を発表した。厚労省試案はある意味で前二者、つまり、小泉内閣の「聖域なき構造改革」の基本方針に対する反論ともいえた

この厚労省試案に対し、財務省がこれでは甘すぎるとばかり「財務省見解」を公表。さらにまた、小泉総理与党社会保障改革協議会を立ち上げ改革案の検討を開始した。

これらの政府、行政の考え方に対して、日医等医療関係者、そして自民党の厚生労働族が猛反発、日医は独自の「医療保険財政再建の道筋」なる案を発表して対抗した。また、自民党の厚生労働部会・医療基本問題調査会合同部会は頻繁に会合を開催、医療改革の中心は与党協議会ではなく自分たちだとばかり息巻いた。与党協議会、厚労部会・医療基本合同部会はそれぞれ別個に、三師会、健保・国保代表等を呼んでヒアリングを行い意見を聞いた。こうして医療改革議論は、01年末の02年度国家予算政府案の決定を前に激しさを増していった。

霞が関点描