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 弘前大学には1973年(昭和48年)4月から、1979年(昭和54年)3月までの、6年間在籍しました。北は北海道から、南は沖縄まで、全国47都道府県から。また、年齢は他大学を卒業した、あるいは社会人であった、30歳を超えた方から、下は18歳まで、120余名の実にさまざまな経歴や個性の方が、ここ弘前の地に参集しました。

 日本のその頃の状況を、今思い起こせば、時代の曲がり角だったという気がします。浅間山荘事件は入学する前の昭和46年です。経済状況で行けば、ちょうど1955年(昭和30年)から1970年(昭和45年)まで続いた高度成長が、1971年(昭和46年)のニクソンショック、いわゆるブレトンウッズ体制の終焉(金とドルの交換停止。通貨切り上げ)とそれに続く、入学した年の1973年(昭和48年)秋の第一次石油ショックでとどめを刺され、1975年(昭和50年)からは成長率の鈍化が起こりました。バブル景気は1987年(昭和62年)から1990年(平成2年)ですから、卒業して大分たってからとなります。1990年代に入ってからは「失われた10年」で、長い不況のトンネルに入っております。

 高度成長が終わった直後、経済の下り坂にちょうど学生時代を送ったことになります。学生であったためか、トイレットペーパーの買占めは実感がありませんでした。そうはいっても、入学した年の、賄いつきの下宿代が16000円前後だったのが、卒業する頃には4万円近くなっていたのを覚えております。まだまだインフレであった。また内閣も、入学当時の第64代の田中角栄(1972年ー1974年)の華々しい列島改造論や角栄人気、その後におこった、ロッキード事件。最初はピーナッツとは何のことかと思いました。その後のクリーン三木政治。福田内閣、大平内閣と、6年間で4人も首相が変わりました。高度成長下の自民党の利権政治構造が磐石で頂点に達した時代でもあったと思います。その後中曽根長期政権となった。

 弘前は人口17万で、秀麗な岩木山のふもとのひっそりした古都で、落ち着いた学生の町でした。小生は初めての雪国で、いわゆる防寒靴をしらず、滑って道を歩けず、北国育ちの同級生に笑われたことを思い出します。世間知らずでもあった。銭湯に行って帰ってくる道で洗髪した髪が凍ったのもびっくりしました。ファッションは、アイビールックもありましたが、長髪で、すそ広がりのあるいはスリムなジーンズをはいて弘前公園を闊歩しました。合コンも盛んであった。弘前公園の桜祭りでは大騒ぎしたものです。音楽では大分下火になったとはいえ、フォークソング後期全盛時代で、吉田拓郎や井上陽水が活躍しておりました。陽水の「氷の世界」に感動した覚えがあります。そういえば神田川や、同棲時代がはやったのも、この頃でした。それなりに自己の内外ともに、騒然とした時代でもあった。いずれにしても高度成長終焉後の、学生運動がやや下火になったころに、多感な時期を、このような学生を大事にしていただけた、閑静なところで過ごせたのは大変よかったと思います。我々は前後の学年に比べても、仲がよく、まとまりのよい学年であったと思います。

 卒業後の進路も、同級生の多くは大学に残ったわけですが、そのほかあるものは故郷に帰り、あるいはさまざまな病院へ就職。いずれにしても全国に散らばりました。卒後25年を過ぎますと、さすがに開業した同級生も多くなり、孫までできた方もいる。またまことに残念ながら物故された方も出てきました。大分居住地も落ち着いてきました。

 大学も2004年に独立行政法人化され、運営は大変厳しい。生き残りをかけて生産性をあげる必要がある。また、2004年度は研修医制度も発足して、大学に研修医があまりいない事態となっております。地域に医師が残らない。地域医療は大変厳しい事態となりそうです。医療制度も高齢化社会への対応と構造改革のあおりで、さらにいっそうの医療費削減、市場原理の医療の導入などが図られております。幸いなことに、最近は経済は若干離陸体制に入ったとはいえ、医療を取り巻く環境は、今後数年は大変厳しいことになっております。我々の生活も大変苦しい時代となりました。我々は、ベビーブーマーのちょっと後で、いわば時代の変わり目に生きてきた世代であると思います。

 生活もそれなりに落ち着いてきた今後は、折に触れより頻回に、同窓会も開いて、親睦を深めていきたいと思います。メーリングリストは、巻淵君の死をきっかけに、連絡のために、2001年4月2日にできました。謹んでご冥福をお祈りいたします。メーリングリストへの多くの参加をお願いいたします。またこのホームページも、中路君の衛生学の教授就任祝いを兼ねた、2005年1月9日の鎌倉での同級会をきっかけにできました。2005年1月12日の開設となります。今後おいおい充実させていきたいと思っております。各位のご協力よろしくお願いいたします。

2005年1月12日本田忠記 

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本田忠
honda@orth.or.jp
最終修正日: 05/01/12